川名・村岡地区の史跡巡りをしてきました

川名・村岡地区の史跡巡りをしてきました

漸く秋を感じるようになった青空の元、文化財ハイキング「村岡南部・御霊神社コース」(藤沢市観光協会)を参考に仲間と一緒にハイキングをしました(2024年10月15日)。

川名御霊神社(かわなごりょうじんじゃ)
天慶4年(941)の創建といわれ、早良親王(桓武天王の同母弟)と、鎌倉権五郎景政を合祀しています。宮前御霊神社の分社で川名地区の鎮守の社です。

神光寺(じんこうじ)
高野山真言宗のお寺で稲荷山影向院(ようごういん)神光寺といいます。明応元年(1492年)に創建されました。ご本尊は不動明王です。

神光寺横穴墓群(じんこうじおうけつぼぐん)
神光寺裏山や周辺には8世紀頃を中心に作られた横穴墓群があり、市の史蹟に指定されています。アーチ形の墓の跡で、奈良時代前期から後期のものといわれています。新林地区では金色の太刀の飾り柄頭が出土しており、県立埋蔵文化センターに展示されています。

法善寺
日蓮宗の寺院(山号は蓮教山)北条時宗が開基し、文永2年(1265年)に創建しました。

弥勒寺
嘉禄2年(1226)に北条泰時が創建したと伝えられ、当初は法泉寺と称し、禅寺だったといわれています。元弘の変の時に、全山焼失したが本尊弥勒如来だけが残りました。その後、何度か再建され、天正元年 (1573)、日祐が再興した時に日蓮宗に改宗したと伝えられています。

弥勒寺にあるめずらしい仏手柑(ブッシュカン)の実

宮前御霊神社
御霊神社(宮前、村岡)は相模国に16社ある御霊神社の本宮といわれています。平安期中頃、平良文が関東に下ったおり、勧請し戦勝祈願をしたのが始まりといわれていますが、相模国の御霊神社には景政が祀られているため、「権五郎さま」が「ごりょうさま」になり、やがて御霊神社になったとの説も伝えられています。

相模国に16社ある御霊神社の本宮「宮前御霊神社」

御霊神社社殿の脇にある、折笹矢竹稲荷と七面宮

兜山七面宮の説明板

道標「鎌倉古道(上の道)」

兜山七面宮の説明板には、「鎌倉権五郎景昌の兜を埋めし処の塚、八幡太郎景政の大樹有り、兜松と云う」とありますが、現在は見ることができません。また、「鎌倉権五郎景政が後三年の役(1083)の時祈願した宮前御霊神社に戦勝の報告に参詣された記念に兜山に兜を埋めたと伝えられ、兜山に七面宮があり」とあります。
そして、御霊神社裏参道を下りると「鎌倉古道」の道標がありました。武蔵府中(東京都)方面に通じていたことが伺えます。

村岡一族を偲ぶ記念碑

記事で紹介したルート(約8Km)

村岡は、柏尾川流域の低地と丘陵から成り、重なり合う岡の群れが地名の由来とされています。
10世紀前半の平将門の乱で活躍した平良文(村岡五郎)の根拠地と伝えられ、12世紀初め鎌倉権五郎景政が当地を開墾し、以来、鎌倉党という武士団の根拠地になりました。 宮前・川名などの御霊神社に景政が祀られており、村岡城址公園や橋名になっている古館のあたりは当時の武士の館だったと考えられます。

現在村岡地区は、新しいまちづくりを始めていて新駅の工事が進んでいます。

まちづくりの詳細は、藤沢市が2024年3月に策定した村岡新駅周辺地区まちづくりコンセプトブック」をご覧ください。