由緒ある村岡の地に「和と幸せをもたらす」七福神

近隣の七福神としてよく知られている鎌倉や藤沢の七福神めぐりに比べると比較的新しいものです。日枝神社に設置された説明板にその謂れが書いてありました。
『藤沢市の東部に位置する村岡地区の歴史をたどると、古事記に縁があると云われています。由緒あるこの地域に平成8年の暮れ、村岡郷土史研究会がお寺や神社に七福神を祭って「和と幸せをもたらすように」との地域の人たちの願いを込めて、七福神が設置されました。』
柄沢神社(恵比寿神)
建久4年(1193)源頼朝が崇拝したことから信迎が広まったといわれる。祭神は天照皇大神、第六代孝安天皇で第六天と呼ばれました。明治初年柄沢神社と改称し、大正10年地元の神明社と合祀しました。境内には市内でも珍しい「帝釈天王」文字塔が柄沢講中によって建立されている他、十数基の石造物が行儀よく並んでいます。


日枝神社(弁財天)
平良文が居住するにあたり屋敷の守護神として日枝大神(大山吟命)を祀ったのに始まり、応永27年(1420)福原左衛門平忠次によって現在地に遷し、そのとき良文を合祀したといわれています。石団右側には、宅地造成によって移された庚申塔や道祖神塔が一列に並び、鎌倉道の道標や「幸紙」と彫られた道祖神塔も見えます。


ウオーキングの途中では、色づく植物を楽しみました。柄沢神社から日枝神社に向かう道でロウバイ(蝋梅)を、弥勒寺の境内では仏手柑(ブッシュカン)と呼ばれる珍しい柑橘類を見ることができます。

甘く爽やかな香りの蝋梅(ロウバイ)

縁起物として知られている仏手柑(ブッシュカン)
高谷大神宮 (大黒天)
祭神は天照皇大神、創立、慶安3年(1650)、後刻豊漁と農民の安穏を記念した高谷地区の鎮守です。
貝帰坂または、かいがら坂と呼ばれた坂を改修した時の記念碑が石段下にあります。この辺りは砂岩地帯で断層から貝殻が見つかるという。これは貝塚ではなく、数千年前まで海だったと考えられます。


荒神神社(布袋)
祭神は奥津彦神。建武2年(1335)、当地に住む小塚五左衛門が、夢の中で老翁に遭い、裏山の三本の大樹の辺りを浄めて紙を祀れば子孫安泰とのお告げを受け、小祀を立てて一族の守護神とし、以来小塚地区の鎮守となりました。


弥勒寺(毘沙門天)
このあたりの地名の由来ともなった古い寺で、嘉禄2年(1226)に北条泰時が、父義時の菩提を弔うために創建したと伝えられます。はじめは法泉寺と称し禅宗であったといわれます。元弘の変の時に兵火にあい全山焼失し、旧本尊弥勒菩薩は裏山の岩窟に泰安(現在は本堂に安置)され、後に日蓮宗に改修しました。


宮前御霊神社(寿老人)
御霊神社発祥の神社です。天慶3年(940)平良文が平将門を討つため京都の御霊神社(祭神は早良親王)から勧請し、後に祭神として鎌倉権五郎景政、葛原親王、高見王、高望王を加え五座となりました。村岡五ヶ村(高谷・小塚・弥勒寺・宮前・渡内)の総鎮守です。


川名御霊神社(福禄寿)
天慶4年(941)の創建といわれ、早良親王(桓武天王の同母弟)と、村岡ゆかりの武将・鎌倉権五郎景政(大庭御厨を作った人)を祭神としています。秋の例祭日には、市指定民俗文化財・川名屋台ばやしが演奏され、鎌倉権五郎の人形を乗せた山車が出てにぎわいます。


*寺社の説明文は、むらおか歴史の道~名所・史跡ガイド~(制作:村岡地区郷土づくり推進会議)を参照しています。
(撮影:okusan)
