サイクリングと科学と子供たちに喜びをもらって

サイクリングと科学と子供たちに喜びをもらって

認定NPO法人おもしろ科学たんけん工房でご活躍されている鹿島孝之さんにインタビューしました。

◆少年時代はどのようなお子様でしたか?
 戦後すぐ愛知県で生まれ、豊橋の開拓地で幼少期を過ごし、その後父親の仕事(養蚕)の関係で、群馬の安中に移住し高校まで暮らしました。小学校高学年の頃は、算数の好きなおとなしい少年でした。

◆学生時代や現役時代に、科学とかかわりがありましたか?
 文系はあまり得意でなく、電気工学と物理を学びました。
電機系の会社で、産業機器であるアーク溶接機の研究開発に約40年間従事していました。その間、日本の先進のパワー半導体を使い、インバータ制御の溶接機を開発。製品が評価され、国内外で、自転車メーカーや自動車メーカー・ロボットメーカーに使ってもらいました。おかげで、充実した会社生活を過ごすことができました。

◆今までの生活の中で、一番深く心に刻まれたことは?
 社会人になってから、サイクリングを始めました。
最初の頃、松本から野麦峠を超え高山まで130kmを走破。その帰路、「女工哀史・あー野麦峠」の著者の山本茂美さんから声をかけられ、ご一緒しました。その際「サイクリングの記録を書きなさい。」「きっと財産になります。」と言われ、記録集を制作しました。

 それは50年も前のことですが、いまでも歩く会の記録や旅の写真など、いろいろな記録集を作成しています。

◆おもしろ科学たんけん工房と出会ったきっかけを教えてください。
 入会のきっかけは、ベートーヴェンの「第九」のおかげだと思っています。
退職後、活動できる場所を探している時、2011年2月に市民会館で開催された 「藤沢市市制70周年記念 第九演奏会」で、「第九」を歌いました。その練習の際、現代表の柴田さんの隣に座ったことがきっかけでたんけん工房を知り、これだと思い、すぐに入会しました。

◆子どもたちと接していて感じることを教えてください。

 当NPOは「科学が好きな子どもを育てたい」をテーマに、小学4~6年生対象の「おもしろ科学体験塾」を実施し、実験や工作を体験することで、科学の不思議や面白さを伝えています。
工作や実験の際の子どもたちの目の輝きと笑顔を見た時、思わず「わかった!」と声が上がった時。このような瞬間に立ち会える喜びは最高で、わたし達へのご褒美だと思っています。

◆これからぜひやってみたいことはどんなことでしょうか?
長年の課題は、20代から始めた「自転車での日本橋から京都までの中山道走破」でした。
 それまで東京から、碓氷峠、笠取峠、和田峠、塩尻峠、馬篭峠などを何回かに分けて、40代で岐阜県の中津川宿まで行っていました。

やり残していた中津川から京都までの区間約240kmを、コロナが少し下火になった2020年11月75歳を前に実施し、木曽に住む友人の勧めとサポートのもと4日間で走破できました。その様子は、友人のおかげでYouTubeに7カ国語でアップされ、多くの人に視聴してもらい、人生の大きな課題をやり終えたと思っています。今はその次の課題を見つけたいです。
NPOの活動では、次世代の子どもたちの ために、おもしろ科学たんけん工房を、この先も継続させることです。そのために、科学体験塾では、現状に加えて低学年(1~3 年生)向けのテーマ開発もやっていこうと思っています。また、会員獲得や運営資金拡充のための活動にも力を注ぎたいと思っています。(画像:鹿島孝之)